ワンマンライブ
「約束」~あなたがすべて 忘れてしまっても~
2009年3月21日 お茶の水KAKADO で行いました。
たくさんの方々の力を借りて出来ました。
本当にありがとうございました。
介護をテーマに、朗読と音楽でつづりました。
一時も気を抜くことができずにいる家族を東京の空の下で思いながら、大切に作った内容でした。
長い長い台本。
朗読と音楽で構成された時間でした。
当日のリハーサル、会場設営から、順をおってスライドでお楽しみください。
(写真 宮本ハラグロ匡)
父が死んだ。
92歳。長生きだった。
脳梗塞で倒れてから、4年。
後遺症の残った左足を引きずりながら、ゆっくり衰えていった。
母は、毎日ゆったりと面倒を見ていた。
赤ん坊の世話をするみたいに、うれしそうに、楽しそうに話しかけていた。
母のしていたことは、明らかに「介護」という言葉とは違う。
父がなくなって4日後。
火葬場に行った。
今の火葬場は近代的で、何もかもスムーズで余韻に浸る暇もない。
父の体。
大きな人だった。不思議なことに、何だか顔は若返ったようにきれいだった。
最後のお別れをする。
「お父さん…。」
係りの若い女性が言った。「燃えないものは、一緒に入れないで下さい」
死んでしまったから「物体」なんだけど、でも、物扱いされているようで心苦しい。
まるで電子レンジを使うように、簡単に父は焼かれていった。
別室でお茶をいただいて、久しぶりに会った親戚と世間話をしながら待つ。
寒い廊下から見えた木々には、うっすらと雪が積もっていた。
父が好きだった麻績神社の桜。もうすぐ、咲くのに。
しばらくして、父は骨になった。
骨は大きく真っ白だった。頭蓋骨、肩甲骨、大腿骨、指の骨…。
不思議なもので、骨になってしまったら、完全に「物」としか思わなくなった。
一人づつ長い箸で骨をひろい、骨壷に入れていく。
たくさん残った立派な骨は骨壷に入りきらなかった。
残った骨の中から、母が何かを箸で拾った。
焼け焦げた黒い物を最後に骨壷に入れた。
曲:あっけないもの
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8月7日
僕はおじいちゃんとおばあちゃんの家に行きました。
今年は、いつもよりずっと長く泊まります。
お父さんと約束しました。おじいちゃんとおばあちゃんのお手伝いをする事。勉強をサボらずやる事。これが出来るなら、夏休みの間、おじいちゃんとおばあちゃんの家にいていいと、お許しが出ました。
ちょっと、ドキドキしています。
おじいちゃんとおばあちゃんの家では、毎年三ツ矢サイダーがでます。
裏の小屋に行くと、酒屋さんのケースにたくさんビンが並んで入っています。
家では酒屋さんのケースを見たことがないので、とてもうれしいです。
僕は、家でたくさんジュースを飲むとお母さんに怒られるけど、こっちでは怒られないので安心です。
おじいちゃんが、「また、背が伸びたなぁ」と言って、柱で身長をはかって「しゅんすけ小4なつ」と書きました。
他の、たくさんの傷は誰の?と聞くと、おじいちゃんは「お母さんのだよ」と教えてくれました。お母さんの小さい頃なんて、ちょっと変だと思いました。
曲:しあわせになりなさい
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父のお葬式が終わった。
「大丈夫 大丈夫」と言って一人で暮らし始めた母は、あっという間にこわれてしまった。
49日に行くと、母はボサボサの頭で、寝巻のまま仏間に座っていた。
冷蔵庫には腐りかけた豆腐が一丁、入っていただけだった。
私は、母の世話をするため、実家に戻った。
母は朝から晩まで同じことを聞いてくる。
壊れたレコードの様に何度も何度も何度も何度も。
怒ってはいけないと思ってもつい、「さっきも言ったでしょ」と、言い返してしまう。
様子を見に来た旦那のことも、目に入れても痛くないほどかわいがった俊介の事も、誰だか分らなくなった。息子は覚悟はしていたようだが、やはりショックを受けたようだ。
母は私を「たーさん」と呼ぶ。たーさんとは父のことだ。
一日中、お金が盗まれただとか、誰かが悪口を言っているだとか、妄想の世界にいる。
疑い、憤り、不安。
一緒にいるこちらも、だんだんダメになっていくのがわかる。
気を張っていてよく眠れない上、毎日愚痴ばかり聞いているとおかしくなってくる。
そして、あの日、とうとう始まってしまった。
気がつくと、母のサンダルがない。
外に出て行ってしまった。
大通りまで行ったが見つからない。母を呼びながら走る私を見て、近所の人も手分けして探してくれる。警察に連絡をした。
車、川、いろんな不安がよぎる。
旦那はすぐにこっちに向かうという。
「おまえは家にいろ、冷静になれ」と言われた。
もう少し気をつけていれば…。
どうして あんなにきつい言葉を吐いてしまったのだろう。
どうして もっと優しくしなかったのだろう。
相手は病人なのに…。
待つだけの時間が ただただ過ぎていく。
結局夜になって、見つかったと警察から連絡が入った。
電車に乗って遠くの町で降りたらしい。
母は、案外、元気に帰ってきた。
私の顔をみて、「あぁ、たーさん。」と言った。
なんだかとっても疲れてしまった。
曲:月がとっても
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8月30日
僕は今日、おじいちゃんとアイスを食べに行きました。
おじいちゃんは、歩くのが早いのでとっても暑くなります。
暑いとアイスがいつもより、もっとおいしい感じがするので、がんばって歩きました。
駅前の喫茶店に、行きました。
初めてクリームソーダを食べました。
僕は前から、おじいちゃんの名前に「た」がつかないのに、何でおばあちゃんは「たーさん」ってよぶのかわからなかったので聞きました。
おじいちゃんは「た」は、名字の「た」だ。と教えてくれました。
でも、おばあちゃんも同じ名字なのに、変だな~と思ったので聞いたら、
おじいちゃんとおばあちゃんはお見合い結婚で、顔も見たことがなかったけれど結婚したそうです。おばあちゃんは、とっても恥ずかしがり屋で、「あの~」とか「すみません」とか呼んでいたそうです。
おじいちゃんが、「あの~」はやめてほしいというと、小さい声で真っ赤になりながら名字を呼ぶようになって、それから「たーさん」になったそうです。
おじいちゃんは、「おばあちゃんのほうが、俺にほれている」といいました。
この話は、みんなには内緒です。男の約束です。
おじいちゃんと、もうひとつ約束をしました。
仏壇の引出しに、お年玉の袋にいれた鈴が2つあるそうです。
おじいちゃんとおばあちゃんは最後に鈴を持っていくと約束をしているそうです。
おじいちゃんが大変な時には、きっとおばあちゃんが渡すから大丈夫だけど、おばあちゃんが大変な時は、この鈴をおばあちゃんに渡してあげてと言われました。
これも男の約束です。絶対に忘れないように紙に書いて秘密基地に隠しました。
夏休みが終わります。明後日から学校です。
お父さんとお母さんがむかえに来ます。
また、来年も来たいです。
曲:ホタル
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私のことは「たーさん」だと思っている。
私はあなたの子供よ、と説明してもすまなそうな顔をしている。
ごく稀にわかる時もあるが、1分もすれば「たーさん」に戻ってしまう。
その後も徘徊は続いた。
家の鍵を二重にしたり、いろいろ対策はしたものの一日中見張っていることに変わりはないし、夜もまともに眠れない。
旦那が、老人ホームのパンフレットを持ってきた。
「もう、いいよ。」って言った。
私は母の世話を続けたかった。だけど、毎日声を荒げる私。小さくなっている母。
周りから見ても明らかに限界をこえていたのだと思う。
母を施設に送った。私は一人になった。
洗濯や片づけもあったし、なんとなくこの古い家を離れがたく、2、3日に実家に泊まる事にした。
旦那は、「ゆっくりすればいいよ」と言って帰って行った。
夜中に何度も目が覚める。
つい、母の寝ていたベッドに目をやって、そこにいるかどうかを確かめていた。
いないのが分かっているのに不思議なものだ。
次の日からは昏々と眠った。
冷蔵庫に残っているものを食べて、また眠った。
どれくらい眠ったかわからない。目が覚めると夜中だった。
母を送ってから、3日経ったのか4日経ったのか…。
人間って、こんなに眠れるんだ、と思った。
体中が痛かった。
お風呂にお湯をはる。
長い間、ゆっくりお風呂に入ることがなかった。
羽を伸ばすように湯船につかった。
ふと見ると、お風呂場のドアに子供のころ貼った丸いシールの跡がある。
母が貰ってきたキャラクターのシール。
私はシールが好きだった。
「また、そんなところに貼っちゃって…」とよく怒られたけど、母はその後も、あちこちでシールをもらってきた。
安いシャンプーも、洗面器も、相変わらずの石鹸も、隅に置かれた軽石も、昔と変わりない。
すり減った軽石でかかとをこすってみた。
硬くなってひびわれた 私のかかと。
子供のころ、母は私のかかとを軽石でこすってくれたが、くすぐったくて2秒ともたなかった。
硬くなってひびわれたかかと、あの頃の母の足によく似ている。
爪の形も、くるぶしも。
そういえば、白髪が交じり始めたこの髪も、節くれだった指も、張りの無くなった肌も、顔も似てきてしまった。
なのに、母は私を生んだことさえ覚えてはいない。
母の心の中に、私はいない。
だけど、母は、私の中にこんな形で生きているのだ。
「お母さん。」
私は、やっと、子供のころのように、あの頃と変わらない風呂場で声をあげて泣いた。
次の日、息子がむかえに来てくれた。たまった荷物を運んでくれるという。
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仏間の父の写真。
おじいちゃん子だった息子が、初めてカメラを買ってもらった日、撮った写真だ。
息子に対する父の溺愛ぶりは、すごかった。
息子が長い夏やすみを実家で過ごして、そして帰る日。
私たちが迎えに来た時の、父のさみしそうな顔が忘れられない。
「俊介、俊介」と言って、恥ずかしがる息子の身長を高校2年生まで柱ではかった。
柱の傷は「俊介高2正月」まで続いた。
息子が仏壇の引出しから、古いお年玉の袋と手紙を取り出した。
「おじいちゃんとの約束だから本当は秘密なんだけど…。」
そう言って、息子が袋をあける。
「おじいちゃんとおばあちゃん、一つづつ持って行くんだって。」
やっとわかった。母が父の骨の中から最後に拾い上げた黒いものは、、焼けた鈴だった。
そして、残ったもう一つの鈴をどうしたらいいのかも。
私の名前は「すず」。
そして、息子は一緒に取り出した手紙を「お母さん宛てだから」と言って差し出した。
母の字だ。
曲:麻績神社
すずへ
あなたを授かった時、二人で麻績神社に行きました。お守り代わりに買った鈴をみて、たーさんは生まれてくる子供の名前を「すず」に決めてしまった。
まだ、女の子かどうかもわからないのに。
すずが生まれた時、予定よりずいぶん早く生まれてきてしまった。
たーさんはいてもたってもいられず、一晩中お参りに行ってしまった。
体がとても小さくて小さくて、生きられるか心配で、私は眠ることが出来なかった。
でも、次の日の朝、たーさんが帰って来ると、まだ目も見えないあなたが、私たちを見て笑った様な気がした。
あの笑顔を見た時、初めて私たちは安心してゆっくりゆっくり、お父さんとお母さんになれた気がします。
あの日、笑ってくれたこと、ずっと忘れません。
あんなに小さかったすずが初めて私を呼んだ時、小さな手でぎゅっと握りしめてきた時、一つ一つ、すべてが私たちのしあわせです。
すずは我慢強くて弱音を吐かない子でした。
勉強だってなんだって何でも一人でできるようになって、自慢の娘です。
でも、大人になっていくすずを見るのは少しさみしかった。
もう少し、お母さんのちっちゃいかわいい子供のすずでいて欲しかった。
親なんて、身勝手ですね。
すずは、たーさん似の素敵な旦那さんとめぐりあって、結婚して、俊介が生まれて、私はおばあちゃんに、たーさんはおじいちゃんになりました。
おじいちゃんとおばあちゃんにしてくれて、ありがとう。
私たちはこれから先、夕暮れの時間を過ごしていくでしょう。
大切な愛した人さえ、自分のことさえ、あなたのことさえわからなくなって、全てを忘れてしまう時が来るかもしれない。
だけど、これだけは忘れないでいてください。
生まれてきてくれてありがとう。
あなたは、私たちの大切な宝物です。
曲:麻績神社
曲:約束